ヴェルーカ・ソルト・ジャパン


20世紀と21世紀を代表する女性ロック・バンド、ヴェルーカ・ソルトのアンオフィシャル・ウェブサイト

●バイオグラフィ●



1992年




ヴェルーカ・ソルト結成!
ヴェルーカ・ソルトという名前は
『チャーリーとチョコレート工場』という本のキャラクターから。
(↑映画になりましたね!)




1994年




デビュー・アルバム『アメリカン・サイズ』をリリース(日本盤は95年)。
プロデュースはリズ・フェアとの仕事でも有名なブラッド・ウッド。
あっという間に50万枚を突破!




1996年




地元シカゴの大物スティーヴ・アルビニ(ニルヴァーナとも仕事した経緯あり)
をプロデューサーに迎えてEP
『ブロウ・イット・アウト・ユア・アス・イッツ・ヴェルーカ・ソルト』
を突如リリース。
限定盤なのが残念!




1997年




現在もメタリカに寄生している超大物、
ボブ・ロックのプロデュースで
2ndアルバム『エイト・アームズ・トゥ・ホールド・ユー』をリリース。
爆発的なヒットを記録、
来日公演も実現!




1998年




前年11月に30歳を迎えたニーナ・ゴードンが2月、突然ヴェルーカ・ソルトを脱退!
ルイーズ・ポストは新生ヴェルーカ・ソルト(オリジナル・メンバーはルイーズのみ)を立ち上げ、
間髪入れずにニュー・アルバムの制作にとりかかる。




2000年




5月にはルイーズ率いるヴェルーカ・ソルトが3rdアルバム『リゾルヴァー』(日本盤は2001年)を、
8月にはボブ・ロックのバック・アップを受けてニーナ・ゴードンが
ソロ・デビュー・アルバム『トゥナイト・アンド・ザ・レスト・オブ・マイ・ライフ』をリリース!
どちらも中規模程度のヒットを記録。
分裂しても2人の音楽は健在。




2003年




ニーナ・ゴードンが映画『スティーリング・イノセンス』に
新曲「ザ・タイム・カムズ」を提供。




2005年




ヴェルーカ・ソルトが2nd EP
『ローズ・オブ・サウンズ・アンド・レッサー・シングズ』を発表し、
4thアルバムのレコーディングにとりかかる。
2枚ともプロデュースはリー・ディレオ
(フィルター、アーミ・オブ・エニワン)。




2006年




8月8日にニーナ・ゴードンが2ndアルバム『ブリーディング・ハート・グラフィティ』、
9月12日にヴェルーカ・ソルトが4thアルバム『IV』をリリース!





☆ヴェルーカ・ソルトの現在のメンバー☆


ルイーズ・ポスト(女性):ギター、ヴォーカル。
1966年12月7日生まれの射手座。

スティーヴン・フィッツパトリック(男性):ギター。
1971年9月13日生まれの乙女座。

ケリー・スコット(男性):ドラム。

ニコール・フィオレンティーノ(女性):ベース、バッキング・ヴォーカル。






★★★ヴェルーカ・ソルト・ヒストリー★★★


Veruca Saltは90年代と00年代のオルタナティヴ・ロック・グループ。
バンド名は『Charlie And The Chocolate Factory』のキャラクターからとられたもの。
イリノイ州のシカゴで結成され、当時のメンバーは↓
Nina Gordon(ギター、ヴォーカル)
Louise Post(ギター、ヴォーカル)
Steve Lack(ベース)
Jim Shapiro(ドラム)
↑であった。
1994年にインディ・レーベルのMinty Fresh Recordsから
「Seether / All Hail Me」がリリースされてヒットし、
Veruca SaltはHoleのツアーに同行した。
それからデビュー・アルバム『American Thighs』をリリースした。

Geffen Recordsとの契約後、バンドは「Seether」のMTVでのヒットによりあっという間に人気を得た。
EP「Blow It Out Your Ass, It's Veruca Salt!」は1996年にリリースされた。
Veruca Saltの人気は1997年にリリースされた2ndアルバム
『Eight Arms To Hold You』で急上昇した。
このアルバムはBob Rockによってプロデュースされ、
ヒット・シングル「Volcano Girls」を生み出した。
Jim Shapiroはこのレコードのリリース後脱退し、
代わってLetters To CleoのStacy Jonesが加入した。

ソング・ライティングはニーナ・ゴードンとルイーズ・ポストのそれぞれの書き下ろしであり、
2人はほとんど共作はしなかった。
代わりに、2人はそれぞれ普段、書き上がった曲をメンバーに渡し、
それぞれが自分の曲でリード・ヴォーカルをとって、
もう一方がバッキング・ヴォーカルをとっていた。

1998年にNina Gordonはソロのキャリアを追求するためバンドを脱退した。
彼女のデビュー・アルバム『Tonight And The Rest Of My Life』は2000年に発売された。

ルイーズはバンドを再編した。
ルイーズが率いる新しいメンバーは↓
Stephen Fitzpatrick(ギター)
Suzanne Sokol(ベース)
Jimmy Madla(ドラム)
↑であった。
彼女はVeruca Saltの名のもと、レコーディングとライヴを続けた。
この新しいバンドはBeyond Recordsと契約した。
ニュー・ラインナップでのデビュー・アルバムは2000年の『Resolver』だった。

2002年12月『Resolver』はオーストラリアでリリースされ、
リード・シングルの「Born Entertainer」は、
オーストラリアで最もよく知られた大きなオルタナティヴ系ラジオ局Triple Jで1位に輝いた。
「Born Entertainer」のリリースに続いて「Yeah Man」と「Officially Dead」の両方がラジオでエアプレイされ、
これもトップ20入りを果たした。
「Officially Dead」は2003年の7月にEPとしてリリースされた。
これは新しいデモである「Straight Jacket」や「Blissful Queen」を収録している。
Veruca Saltは2003年の7月にオーストラリア・ツアーを行い、
ソールド・アウトのショーをこなした。
そしてThe Splendour In The Grass Festivalにおいては、
PlaceboやColdplay、Goldfrappらと共に、ヘッドライン・バンドの1つだった。

Veruca Saltは2004年末にヘッド・ライン・ショーとフェスティヴァルに出演するためにオーストラリアへ戻った。
バンドはメンバーが新しくなり、ライヴは大成功を収めている。
伝統的Viper Roomでもライヴを行った。

2005年には新しいEPをリリースし、秋に完全なアメリカ・ツアーを行った。
このEPは自主的にバンドのライヴやウェブサイト経由で売り出された。
EPのタイトルは『Lords Of Sounds And Lesser Things』と題され、
6曲の新曲を含み(1曲はインタールード)、
2006年の9月にリリースされるニュー・アルバムの前兆ということになる。
EPの題はZora Neale Hurstonの『Their Eyes Were Watching God』からとられたものである。

2006年9月、Veruca SaltはRae Dileo(リー・ディレオ)のプロデュースのもと、
待望の4thアルバム『IV』をリリースした。






★★★ニーナ・ゴードン・ヒストリー★★★


Nina Gordon(本名Nina Rachel Shapiro Gordon)は1967年11月14日に生まれた、
アメリカのロック・シンガーである。
Veruca Saltの共同結成者であるニーナ・ゴードンは、
90年代中盤のグランジ世代のポップ・ロックに影響を与えたBanglesに影響を受けている。
Ninaはたちまち伝染するパワー・ポップのフックやメロディですぐに知られるようになった。
彼女はVeruca Saltの最大のヒット曲、
「Seether」と「Volcano Girls」を書いた。
1998年にVeruca Saltを脱退してから、
彼女はソロとしてヒット・アルバム
『Tonight And The Rest Of My Life』をリリースし、
Fefe DobsonやCourtney Jayeのために曲を書いた。
2006年8月8日には2ndアルバム『Bleeding Heart Graffiti』をリリース予定。

Veruca Saltはニーナ・ゴードンとルイーズ・ポストの友情によって結成された。
ニーナの親友で女優のLili Taylorによって紹介され、
2人はすぐに結束し、今Veruca Saltとして知られるものが誕生した。
最初、バンドはアコースティック・ライヴを行っていたが、
2人はすぐにそれが自分たちのサウンドでないと気付いた。
すぐにベーシストのSteve Lackを迎え、
結局ニーナの頼みですでにドラムを演奏していた、
ニーナの実の兄Jim Shapiroがドラマーとして加入した。

Veruca Saltは自己投資でデモ・テープをリリースし、それをレーベルへ売り込んだ。
そしていくつかの小さなクラブでのライヴを演り始めた。
バンドの人気は急激に高まり、
たった2、3回のギグの後、
Veruca Saltはインディ・レーベルのMinty Fresh Recordsと契約を結び、プロデューサーのBrad Woodと共にレコーディングを始めた。
その頃Brad WoodはLiz Phairの『Exile in Guyville』をプロデュースしたことで有名だった。

バンドは「Seether」のラジオ用シングルをリリースした。
Seetherは反抗的でゆがんだオルタナティヴ・ロッカーで、
怒りを持っていて誤解された女性だった。
Veruca Saltの他の曲に比べて、「Seether」は非常にポップだったために、
ニーナはこの曲はメンバーに気に入ってもらえないと思っていた。
しかし「Seether」はラジオにおいて予想に反し大健闘した。
あいにくまだアルバムは完成しておらず、
バンドは「Seether」がチャートで転落する前に完成させようと急いだ。
「Seether」はモダン・ロック・チャートで8位まで上がった。

バンドは最終的にGeffen Recordsと契約し、
『American Thighs』は1994年の10月25日にリリースされた。
このアルバムはThe Billboard Top 100で69位まで上昇し、ゴールド・ディスクに認定された。
次のシングル「All Hail Me」はヒットせず、
ニーナによって書かれたアルバムからの最後のシングル「Number One Blind」はそれよりはラジオでヒットを収めたが、
「Seether」ほどではなかった。
ニーナとルイーズは「Number One Blind」のミュージック・ビデオに不満で、
それはMTVで5回足らずオンエアされた後取り下げられた。

このアルバムを引っ提げて、
Veruca SaltはHoleやLive、PJ Harveyのオープニング・アクトとしてツアーを行い、
同時にヘッドライナーとしてクラブ・ツアーも行った。

Veruca Saltは新作を待ちわびるファンのために1996年にはEP『Blow It Out Your Ass It's Veruca Salt』をリリースした。
この作品はSteve Albini(PJ Harvey、Nirvana)によってプロデュースされ、
ファンのお気に入りのニーナの曲「Shimmer Like A Girl」を収録している。

この間ニーナはSmashing PumpkinsのJames Ihaとコラボレーションし、
『Bullet With Butterfly Wings』のB面曲「Said Sadly」をレコーディングした。
同様にFig DishやTriplefastactionとのデュエットも行った。

『American Thighs』のツアー後、NinaとLouiseはBob Rockと共にスタジオに入り、
2ndアルバムをレコーディングした。
2人は野外フェスティヴァルでのヴェルーカ・ソルトのライヴの前に、
Metallicaの「Enter Sandman」を聴いてボブ・ロックの仕事に衝撃を受けた。
2ndアルバム『Eight Arms To Hold You』は1997年2月11にGeffen Recordsからリリースされ、賛否両論の反響を呼んだ。
『American Thighs』のファンの中には、
ゆったりとした前作のインディっぽさと比べ、
あかぬけしたハード・ロックの音と際だったBob Rockのプロダクションに失望した人もいた。
『Eight Arms To Hold You』は様々な批評を受けた。
メンバーはこのアルバムが困難であり、極度に緊張したものであったことを認めた。
しかし、作品はNina Gordonによって書かれた1stシングル「Volcano Girls」の成功によってよく売れた。
それは申し分なくキャッチーな爆発的曲で、
「Seether」の成功と同様にモダン・ロック・チャートで8位を記録した。
しかし、アルバムの方はThe Billboard Top 100において前作よりも高い順位である55位まで上昇したにも関わらず、
長いヒットは記録できなかった。
2ndシングル「Shutterbug」は、
他のプロモーションと共に高予算のミュージック・ビデオやSaturday Night Liveでのパフォーマンスも行ったにも関わらずヒットせず、
アルバムのセールスは下降していった。
加えて3つのシングルがラジオでエアプレイされた
(「The Morning Sad」「Straight」「Benjamin」)。
しかしどれもビデオを制作するのに十分な結果は出なかった。
それでもニーナの書いた「Benjamin」はビデオも宣伝もなしに、
インターナショナルの3rdシングルとして、
そしてアルバムからの最後のシングルとしてリリースされた。
結局「Benjamin」もヒットは記録しなかった。
Veruca Saltは「Eight Arms To Hold You」を引っ提げての広範囲のツアーを行い、
ヘッドライナーとしてのクラブ・ツアーと共にBushのオープニング・アクトもつとめた。
ニーナ・ゴードンは1998年前半にヴェルーカ・ソルトを脱退した。
ボーイフレンドを取られたという噂とルイーズとの衝突が囁かれた。
ルイーズはVeruca Saltの名前を継続し、
結局2000年に『Resolver』をリリースした。
これがニーナなしの最初のヴェルーカ・ソルトのアルバムである。

バンドを去ってすぐに、ニーナはボストンで、
友人のKay HanleyとLetters To CleoのMichael Eisensteinと共に、
ソロ曲のデモを録音した。
1998年に彼女はJames Ihaのソロ・アルバム『Let It Come Down』の
「Beauty」でヴォーカルを提供している。
その後彼女は先の『エイト・アームズ・トゥ・ホールド・ユー』をプロデュースしたBob Rockと共に、
ソロ・アルバムのレコーディングを始めた。
『Tonight And The Rest Of My Life』と題されるこのアルバムは1999年前半に完成し、
それはOutpost Records(8月までGeffen傘下)からリリースされる予定だった。
しかしGeffen RecordsとInterscope Recordsの合併により、
ニーナはレーベルを去らなくてはならなかった。

Nina Gordonは数ヶ月後にWarner Brothers Recordsと契約した。
全曲シングル・カットが可能であったことが、契約の決め手となった。
2000年の1月にリリースされる予定だったが、
最終的に2000年の6月27日にリリースされた。
同名の1stシングルはラジオで健闘し、
ヒット映画『ショコラ』や『The Notebook』に使われた。
2ndシングル「Now I Can Die」はそれほどヒットしなかったが、
ラジオでのエアプレイのみの3rdシングル「2003」は、
ほとんどプロモーションもなされずビデオもなかったにも関わらず、
比較的好調のヒットだった。

ニーナ・ゴードンはDavid Grayのオープニング・アクトとしてツアーを行った。
またPalo Altoと共にヘッドライナーとしてのツアーも行った。

『Tonight And The Rest Of My Life』はThe Billboard Top 200で123位までしか上がらなかった。
しかし150位の周辺に何ヶ月もチャート・インし、
全世界で約30万枚を売り上げた。
日本においても5万枚売れた。

2001年後半に『トゥナイト・アンド・ザ・レスト・オブ・マイ・ライフ』のプロモーションを終えると、
Nina Gordonはオフをとって2ndアルバム用に曲を書き始めた。
しかし2003年の後半までスタジオに入ることはなかった。
確かな理由は明らかではないが、
ニーナはたくさんの素晴らしい曲を書きたかったからだと言っている。
ファンのために『Tonight And The Rest Of My Life』のB面曲と、
「The Time Comes」のデモがオフィシャル・ウェブサイトに公開された。
「The Time Comes」はインディ映画『Stealing Innocence』に使われている。

ニーナ・ゴードンは2003年後半からEthan Johnsと共に2ndアルバムのレコーディングを始めた。
オフィシャル・ウェブサイトにはリリース予定のアルバムに対する彼女のエキサイトぶりが表明された。
しかしその作品はあまりにもメロウで、悲しいものだった。
ニーナは2004年前半にイーサン・ジョーンズとのレコーディングを終え、
そのタイトルは『Even The Sunbeams』と題されたが、
いくつかの曲はリークしてしまった。
数ヶ月後、ニーナはアルバムに満足していないことを表明し、
リリースしない予定であることを明らかにした。
この作品からは「Lighter On The Moon」だけがMySpaceにアップされた。

2006年8月8日に、Nina GordonはBob Rock(ボブ・ロック)のプロデュースのもと、
待望の2ndアルバム『Bleeding Heart Graffiti』をリリースした。

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