Veruca Saltは90年代と00年代のオルタナティヴ・ロック・グループ。
バンド名は『Charlie And The Chocolate Factory』のキャラクターからとられたもの。
イリノイ州のシカゴで結成され、当時のメンバーは↓
Nina Gordon(ギター、ヴォーカル)
Louise Post(ギター、ヴォーカル)
Steve Lack(ベース)
Jim Shapiro(ドラム)
↑であった。
1994年にインディ・レーベルのMinty Fresh Recordsから
「Seether / All Hail Me」がリリースされてヒットし、
Veruca SaltはHoleのツアーに同行した。
それからデビュー・アルバム『American Thighs』をリリースした。
Geffen Recordsとの契約後、バンドは「Seether」のMTVでのヒットによりあっという間に人気を得た。
EP「Blow It Out Your Ass, It's Veruca Salt!」は1996年にリリースされた。
Veruca Saltの人気は1997年にリリースされた2ndアルバム
『Eight Arms To Hold You』で急上昇した。
このアルバムはBob Rockによってプロデュースされ、
ヒット・シングル「Volcano Girls」を生み出した。
Jim Shapiroはこのレコードのリリース後脱退し、
代わってLetters To CleoのStacy Jonesが加入した。
バンドは最終的にGeffen Recordsと契約し、
『American Thighs』は1994年の10月25日にリリースされた。
このアルバムはThe Billboard Top 100で69位まで上昇し、ゴールド・ディスクに認定された。
次のシングル「All Hail Me」はヒットせず、
ニーナによって書かれたアルバムからの最後のシングル「Number One Blind」はそれよりはラジオでヒットを収めたが、
「Seether」ほどではなかった。
ニーナとルイーズは「Number One Blind」のミュージック・ビデオに不満で、
それはMTVで5回足らずオンエアされた後取り下げられた。
Veruca Saltは新作を待ちわびるファンのために1996年にはEP『Blow It Out Your Ass It's Veruca Salt』をリリースした。
この作品はSteve Albini(PJ Harvey、Nirvana)によってプロデュースされ、
ファンのお気に入りのニーナの曲「Shimmer Like A Girl」を収録している。
この間ニーナはSmashing PumpkinsのJames Ihaとコラボレーションし、
『Bullet With Butterfly Wings』のB面曲「Said Sadly」をレコーディングした。
同様にFig DishやTriplefastactionとのデュエットも行った。
『American Thighs』のツアー後、NinaとLouiseはBob Rockと共にスタジオに入り、
2ndアルバムをレコーディングした。
2人は野外フェスティヴァルでのヴェルーカ・ソルトのライヴの前に、
Metallicaの「Enter Sandman」を聴いてボブ・ロックの仕事に衝撃を受けた。
2ndアルバム『Eight Arms To Hold You』は1997年2月11にGeffen Recordsからリリースされ、賛否両論の反響を呼んだ。
『American Thighs』のファンの中には、
ゆったりとした前作のインディっぽさと比べ、
あかぬけしたハード・ロックの音と際だったBob Rockのプロダクションに失望した人もいた。
『Eight Arms To Hold You』は様々な批評を受けた。
メンバーはこのアルバムが困難であり、極度に緊張したものであったことを認めた。
しかし、作品はNina Gordonによって書かれた1stシングル「Volcano Girls」の成功によってよく売れた。
それは申し分なくキャッチーな爆発的曲で、
「Seether」の成功と同様にモダン・ロック・チャートで8位を記録した。
しかし、アルバムの方はThe Billboard Top 100において前作よりも高い順位である55位まで上昇したにも関わらず、
長いヒットは記録できなかった。
2ndシングル「Shutterbug」は、
他のプロモーションと共に高予算のミュージック・ビデオやSaturday Night Liveでのパフォーマンスも行ったにも関わらずヒットせず、
アルバムのセールスは下降していった。
加えて3つのシングルがラジオでエアプレイされた
(「The Morning Sad」「Straight」「Benjamin」)。
しかしどれもビデオを制作するのに十分な結果は出なかった。
それでもニーナの書いた「Benjamin」はビデオも宣伝もなしに、
インターナショナルの3rdシングルとして、
そしてアルバムからの最後のシングルとしてリリースされた。
結局「Benjamin」もヒットは記録しなかった。
Veruca Saltは「Eight Arms To Hold You」を引っ提げての広範囲のツアーを行い、
ヘッドライナーとしてのクラブ・ツアーと共にBushのオープニング・アクトもつとめた。
ニーナ・ゴードンは1998年前半にヴェルーカ・ソルトを脱退した。
ボーイフレンドを取られたという噂とルイーズとの衝突が囁かれた。
ルイーズはVeruca Saltの名前を継続し、
結局2000年に『Resolver』をリリースした。
これがニーナなしの最初のヴェルーカ・ソルトのアルバムである。
バンドを去ってすぐに、ニーナはボストンで、
友人のKay HanleyとLetters To CleoのMichael Eisensteinと共に、
ソロ曲のデモを録音した。
1998年に彼女はJames Ihaのソロ・アルバム『Let It Come Down』の
「Beauty」でヴォーカルを提供している。
その後彼女は先の『エイト・アームズ・トゥ・ホールド・ユー』をプロデュースしたBob Rockと共に、
ソロ・アルバムのレコーディングを始めた。
『Tonight And The Rest Of My Life』と題されるこのアルバムは1999年前半に完成し、
それはOutpost Records(8月までGeffen傘下)からリリースされる予定だった。
しかしGeffen RecordsとInterscope Recordsの合併により、
ニーナはレーベルを去らなくてはならなかった。
Nina Gordonは数ヶ月後にWarner Brothers Recordsと契約した。
全曲シングル・カットが可能であったことが、契約の決め手となった。
2000年の1月にリリースされる予定だったが、
最終的に2000年の6月27日にリリースされた。
同名の1stシングルはラジオで健闘し、
ヒット映画『ショコラ』や『The Notebook』に使われた。
2ndシングル「Now I Can Die」はそれほどヒットしなかったが、
ラジオでのエアプレイのみの3rdシングル「2003」は、
ほとんどプロモーションもなされずビデオもなかったにも関わらず、
比較的好調のヒットだった。
『Tonight And The Rest Of My Life』はThe Billboard Top 200で123位までしか上がらなかった。
しかし150位の周辺に何ヶ月もチャート・インし、
全世界で約30万枚を売り上げた。
日本においても5万枚売れた。
2001年後半に『トゥナイト・アンド・ザ・レスト・オブ・マイ・ライフ』のプロモーションを終えると、
Nina Gordonはオフをとって2ndアルバム用に曲を書き始めた。
しかし2003年の後半までスタジオに入ることはなかった。
確かな理由は明らかではないが、
ニーナはたくさんの素晴らしい曲を書きたかったからだと言っている。
ファンのために『Tonight And The Rest Of My Life』のB面曲と、
「The Time Comes」のデモがオフィシャル・ウェブサイトに公開された。
「The Time Comes」はインディ映画『Stealing Innocence』に使われている。
ニーナ・ゴードンは2003年後半からEthan Johnsと共に2ndアルバムのレコーディングを始めた。
オフィシャル・ウェブサイトにはリリース予定のアルバムに対する彼女のエキサイトぶりが表明された。
しかしその作品はあまりにもメロウで、悲しいものだった。
ニーナは2004年前半にイーサン・ジョーンズとのレコーディングを終え、
そのタイトルは『Even The Sunbeams』と題されたが、
いくつかの曲はリークしてしまった。
数ヶ月後、ニーナはアルバムに満足していないことを表明し、
リリースしない予定であることを明らかにした。
この作品からは「Lighter On The Moon」だけがMySpaceにアップされた。